高村光太郎 前史

高村光太郎は木彫家高村光雲の長男として、明治16年(1883)東京に生まれる。
 

明治39年(1906)、彫刻修行のためにニューヨーク、パリ、ロンドンに留学。
 

フランス留学中にロダンやセザンヌの影響を受け、自由で奔放な精神を身につける。
 

明治42年(1909)帰国した光太郎は閉鎖的で古い権威主義に固まった日本の芸術界に反発し、批判活動を展開するが受け入れられなかった。
 

この頃、神田淡路町に「琅カン洞」という美術店を作ったり、スバル一派の新文学運動に加わったりする。
 

北原白秋・木下杢太郎らの「パンの会」に加わり、毎夜飲んだり騒いだりのメチャクチャな耽溺生活に陥っていく。
 

自分を見失いそうな精神的危機にある中、光太郎は友人柳敬助の夫人から長沼智恵子を紹介されるのだった。
 

デカダン
 

彫刻油絵詩歌文章、
やればやるほど臍をかじる。
銅像運動もおことわり。
学校教師もおことわり。
縁談見合もおことわり。
それぢゃどうすればいいのさ。
あの子にも困ったものだと、
親類中でさわいでゐますよ。
鎧橋の「鴻の巣」でリキユウルをなめながら
私はどこ吹く風かといふやうに酔つてゐる。
酔つてゐるやうにのんでゐる。
まつたく行くべきところが無い。
デカダンと人は言つて興がるが
こんな痛い良心の眼ざめを曾て知らない。
遅まきの青春がやつてきて
私はますます深みに落ちる。
意識しながらずり落ちる。
カトリツクに縁があつたら
きつとクルスにすがつてゐたろう。
クルスの代りにこのやくざ者の眼の前に
奇蹟のやうに現れたのが智恵子であつた。
 


 ≫長沼智恵子 前史

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高村光太郎 朗読 / 智恵子抄
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