光太郎と智恵子の出会い

智恵子と光太郎がはじめて出会ったのは明治44年(1912)11月。智恵子が女子大の先輩柳八重に光太郎に紹介してくれるよう頼んだのだ(柳八重は光太郎の友人柳敬介の夫人)。
 

一方の光太郎は明治42年(1910)にフランスから帰国して以来、精神的にかなり滅茶苦茶な状態に陥っていた。
 

父のすすめる彫刻制作会社も断り、教師の口も断り、北海道移住を企てたり、酒びたりの毎日だったという。
 

そこへ智恵子が現れた。智恵子は言葉少なにフランス絵画の話などをしたりお茶を飲んだりして帰っていった。
 

翌年6月、光太郎が父の家に近い本郷駒込林町にアトリエを建ててもらい移り住むと、智恵子はグロキシニアの花を持ってお祝いに訪れる。
 

人に
 

いやなんです
あなたのいつてしまふのが――
 

花よりさきに実のなるやうな
種子(たね)よりさきに芽の出るやうな
夏から春のすぐ来るやうな
そんな理窟に合はない不自然を
どうかしないでゐて下さい
型のやうな旦那さまと
まるい字をかくそのあなたと
かう考へてさへなぜか私は泣かれます
小鳥のやうに臆病で
大風のやうにわがままな
あなたがお嫁にゆくなんて
 

いやなんです
あなたのいつてしまふのが――
 

なぜさうたやすく
さあ何といひませう――まあ言はば
その身を売る気になれるんでせう
あなたはその身を売るんです
一人の世界から
万人の世界へ
そして男に負けて
無意味に負けて
ああ何といふ醜悪事でせう
まるでさう
チシアンの画いた絵が
鶴巻町へ買物に出るのです
私は淋しい かなしい
何といふ気はないけれど
ちやうどあなたの下すつた
あのグロキシニヤの
大きな花の腐つてゆくのを見る様な
私を棄てて腐つてゆくのを見る様な
空を旅してゆく鳥の
ゆくへをぢつとみてゐる様な
浪の砕けるあの悲しい自棄のこころ
はかない 淋しい 焼けつく様な
――それでも恋とはちがひます
サンタマリア
ちがひます ちがひます
何がどうとはもとより知らねど
いやなんです
あなたのいつてしまふのが――
おまけにお嫁にゆくなんて
よその男のこころのままになるなんて
 


光太郎と出会ったころ、すでに智恵子には
郷里福島二本松の青年医師寺田三郎との間に
結婚の約束があった。

「人に」は、智恵子にすでに婚約者がいることを知った
光太郎の心の動揺を描いた詩。

しかし智恵子は日に日に光太郎に惹かれていき、
後に二本松に帰省した際、
青年医師寺田三郎にキッパリと別れを告げた。

同年7月、明治天皇が崩御し時代は大正にかわる。
 

光太郎は犬吠崎の写生旅行に出かけ、そこで知恵子と「たまたま」再会する。二人はこの旅行を通して信頼を深めていく。
 

上高地旅行

リンク

高村光太郎 朗読 / 智恵子抄
 
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