上高地旅行

大正2年(1913)8月から9月にかけて、光太郎は長野県上高地へ出かける。神田のヴィーナス倶楽部で友人たちと開く予定の展覧会に出展する絵を描くためだった。

そこには窪田空穂などの芸術家、「日本アルプス」の名付け親である宣教師ウォルター・ウェストンの姿もあった。

9月に入り、智恵子も上高地に来た。当時の上高地はバスの便もなく、島々という所から徳本峠を越えて20キロを歩くのだった。光太郎は岩魚止という所まで智恵子を迎えにいった。

上高地滞在中、二人は一緒に写生したりして、信頼を深めていった。

だが下山した二人に世間は冷たかった。上高地での二人のことが新聞に面白おかしくゴシップ記事として書かれたのだ。

当時は未婚の男女が二人で旅行するなどけしからんという風潮だった。二人の両親も心配する。いよいよ光太郎は自分の立場を明らかにする必要に迫られた。

結婚

リンク

高村光太郎 朗読 / 智恵子抄
inserted by FC2 system