智恵子の実家長沼家は大正7年に当主・今朝吉(智恵子の父)が亡くなったところから没落し始める。
長男啓助(智恵子には弟にあたる)が跡を継ぐが、この啓助はとんでもない放蕩息子で経営のセンスは全くなく、母センと共に白紙委任状に判を押しまくった。
またたく間に財産を使い果たし、昭和4年、長沼家は破産。一家は離散する。
これらのことが智恵子の精神変調の原因のひとつとなつたようである。