智恵子の紙絵

南品川ゼームス坂病院に入院中、智恵子は紙絵の制作に熱中するようになる。

きっかけは見舞いに来た光太郎が持ってきた果物の色紙や、チョコレートの銀紙を台紙に貼り付けることからだったらしい。

最初は単純なものだったがやがて深い創意工夫をこらすようになっていく。折り紙を半分に折って切り抜き左右対称の模様を作ったり、紙を幾重にも重ねて立体感を出したり…光太郎を驚かせるほどだった。

「精神は分裂しながらも手は曾て油絵具で成し遂げ得なかつたものを切紙によつて楽しく成就したかの観がある。」(「智恵子の半生」)

「千数百枚に及ぶ此等の切抜絵はすべて智恵子の詩であり、抒情であり、機知であり、此世への愛の表明である。此を私に見せる時の智恵子の恥ずかさうなうれしさうな顔が忘れられない。」(「智恵子の切抜絵」)

これらの紙絵は智恵子の死後、たびたび展覧会で一般の目にふれるようになり、高い評価を得ることとなった。

智恵子の死

リンク

高村光太郎 朗読 / 智恵子抄
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