智恵子抄

詩集「智恵子抄」は智恵子との出会い、智恵子との愛情溢れる同棲生活、そして智恵子の発狂と死、その後の光太郎の魂の再生までを綴る。
 

詩集でありながら一本の物語のようなドラマチックな構成が感じられる。
 

昭和16年に初版5000部が発行され、太平洋戦争末期の昭和19年まで13刷を重ねた。部数はしばしば10000部に及ぶこともあった。
 

「智恵子抄」がここまで受け入れられた理由の一つとして、戦時という時代背景がある。男女の交際は非国民と非難され、結婚もただ戦に勝つための人的資源を製造するためのものとされていた時代である。
 

そんな風潮の中、こんなにも自由に、時にはかなり露骨な性愛の表現もまじえた「智恵子抄」はこの時代の青年たちに広く受け入れられた。
 

しかし「智恵子抄」の成功とは裏腹に、光太郎は戦気高揚詩の制作に没頭していく。
 

太平洋戦争中、光太郎は智恵子のことは一切書かなかった。智恵子を喪った悲しみを振り払うように戦争を讃美し、若者を戦争に駆り立てる詩を書きまくった。
 

再び光太郎の詩に智恵子が登場するのは戦後の「報告―智恵子に」まで待たねばならなかった。
 

報告(智恵子に)

日本はすつかり変りました。
あなたの身ぶるひする程いやがつてゐた
あの傍若無人のがさつな階級が
とにかく存在しないことになりました。
すつかり変つたといつても、
それは他力による変革で
(日本の再教育と人はいひます。)
内からの爆発であなたのやうに、
あんないきいきした新しい世界を
命にかけてしんから望んだ
さういふ自力で得たのでないことが
あなたの前では恥しい。
あなたこそまことの自由を求めました。
求められない鉄の囲の中にゐて、
あなたがあんなに求めたものは、
結局あなたを此世の意識の外に逐ひ、
あなたの頭をこはしました。
あなたの苦しみを今こそ思ふ。
日本の形は変りましたが、
あの苦しみを持たないわれわれの変革を
あなたに報告するのはつらいことです。


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